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【第2話】理想と現実のギャップ

作業後の消防士
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前回のあらすじ

仙台の小さな田舎町でのびのび育った僕は、中学時代になると部活を辞めたことをきっかけとして大きなコンプレックスを抱えていた。

そして、二度と同じような後悔をしないと決意し始まった高校生活。

中学時代に失った自信を取り戻すかのように部活動に取り組む一方で、このまま”社会人になり働くこと”に疑問と不安を抱き始める。

しかし、そんなとき偶然目にした公務員予備校のポスターを見て、日々状況が変化するような刺激的な仕事がしたいという理由から消防士を目指すことを決意する。

そして春になり、公務員試験に無事合格した僕は親元を離れて一人上京する・・。

消防士の世界へ

高校を卒業した僕は、消防士としての教育を受けるため消防訓練センターに入校した。

消防訓練センターでは約半年間の間、月曜日から金曜日まで泊まり込みで集団生活を送りながら訓練や座学を行い、消防士として働くために必要な知識や技術を叩き込まれる。

 

「ルールが厳しそう」「訓練が厳しそう」「教官が怖そう」

と思うかもしれない。

残念なことに、 すべてそのとおりだった。

 

消防訓練センターでの生活は、これまで経験したことのない 「徹底的に管理された日常」 だった。

朝6時の起床から夜22時の就寝までのスケジュールがほぼ全て管理されているのだ。

当然、自分の時間なんてない。

 

毎朝6時に起床し、庁舎の清掃、ラジオ体操などを行ったのち朝食を取る。

そして、8時半からの点呼に間に合うように授業や訓練の準備を済ませ、整列した状態で教官を待つ。

点呼ののち、教官により服装などの確認が行われ、”問題がなければ”一日のスケジュールを伝えられる。

しかし、忘れ物などの”問題があった場合”には、ここにあるイベントが加わることになる。

それは 「ペナルティ」と呼ばれ、その場で「腕立て伏せ」を10回行う 、というものだ。

 

「なんだ、たったそれだけか」

と思うかもしれないが、残念ながらそんなに甘くない。

 

複数人がペナルティを課せられればその「合計」を全員で行う。

そのため、 合計100回を超えるのはザラ。

連帯責任なのだ。

 

細かなものを挙げればキリがないが、この他にも数多くのルールがあった。

ここにきて今までの人生とは全く違う世界に飛び込んでしまったのだと強く感じた。

午前中の座学でたくさんの情報を詰め込まれ、午後の訓練では足腰が立たなくなるまで動き続ける毎日。

一日一日を過ごすことに必死だった。

 

余談だが、人生で初めて”黒いアイツ”と遭遇したのもこの時だった。

仙台では見たことがなかったのだ。

トイレの個室という最悪の出会い方をしたおかげで、一瞬で”嫌いな虫ランキング”堂々の第1位に登りつめた。

 

不思議なもので、数週間も閉鎖された空間で集団生活を送っているうちに、消防訓練センターでの生活に対して疑問を感じることも減っていた。

疑問を感じながら生活するよりも、慣れてしまったほうが精神的にはラクなのだ。

 

と、どうしても消防訓練センターでの生活を語ると厳しさや窮屈さが際立ってしまうのだが、ここで過ごした半年間は僕の人生にとって大きな経験になったと思っている。

人と協力して助け合いながら、必死になって毎日を過ごすうちに、物事に取り組む姿勢や価値観が変わっていくのを自分でも感じていた。

きっと、この半年間があったおかげで”自分への甘さ”も少しは取り去ることが出来たと思う。

そういった意味では、社会人になりたての僕にとっては必要な時間だったのだと思えた。

 

約半年で全ての教育を(なんとか)無事に修了した僕は不安や感謝、安心感などが入り交じる複雑な感情から流れる涙とともに訓練センターを卒業した。

そして、その涙も乾ききらないうちに、これから僕たちが配属される消防署へと車で送り込まれた。

 

こうして社会人1年目の秋、僕は高校球児のようなボウズ頭、日に焼けて黒光りする肌、妙にいかつくなった身体を手に入れ、ようやく消防士としてのスタートラインに立った。

理想と現実

消防訓練センターを卒業した僕は、消防署に配属された。

僕が配置されたのは消防隊の隊員。

分かりやすいところで言えば、火事の現場では放水する役割などを担う。

 

消防署では24時間の当直勤務を行う。

普段は事務処理や訓練を行いながら、指令が入ったときには現場へと急行し、火事や交通事故といった災害の対応をする。

何もなければ夜には仮眠をとることもできるが、特に最初のうちはグッスリと眠れるようなものではない。

なにせ、 いつ呼ばれるか分からない緊張感が常にあるのだ。

慣れるまでの間は1当直がとにかく長く感じた。

 

24時間勤務するということは、 ”そこで生活をする”ということ。

掃除や洗濯もするし、朝昼晩のご飯は自分たちで調理する。

そのため、入ったばかりの新人には、ゴミ出しや分別、食材の管理、掃除などといった、いわゆる”雑用”が任されるという風習があった。

 

僕が配置された消防署は災害の件数も少なく、必然的に事務所で過ごす時間が多かった。

年齢層が高いこともあり、積極的に訓練を行うという雰囲気でもない。

そのため、 僕が先輩から受ける指導といえば、この雑用のことがほとんどだった。

 

雑用と一口に言っても、その内容は多い。

まだ自分の仕事を持っていない新人の僕がその役割を担うことで、仕事を抱えている先輩たちを間接的に助けることができる。

そうやってチームワークが成り立っていると考えれば、 雑用も立派な仕事といえる。

 

しかし、その一方で一日中なにも仕事をせずに雑談していたり、テレビを見ているような人たちもいた。

そして、 ときどき思い出したように、近くにいる新人職員を捕まえて”指導”という名のお説教を始めるのだ。

その指導が長時間に及ぶことも少なくなかった。

 

キャベツの千切りの切り方で指導が入ったときには

「これじゃキャベ百だろ、犬も食わねぇよ」

と言われて流しに捨てられたこともあった。

 

(・・・そもそも犬ってキャベツ食べるの?)

と思いながら、僕はその先輩が厨房を出たあともキャベツを切り続けた。

その後、夕食の時にその先輩が僕の量産した「キャベ百」をモシャモシャと食べている姿を見て

(犬とキャベツに謝れよ)

と心の中で思ったのも、今となってはいい思い出だ。

 

そんな日々を繰り返すうちに、 僕は想像していた世界と現実が大きく違うことに幻滅しかけていた。

消防訓練センターを卒業したときに抱いていた”期待”は、食事作りと雑用の毎日という現実を前にして裏切られたと感じていたのだ。

 

しかし、そんななかでも一つだけ救いはあった。

それは、少し年上の先輩のAさんの存在だった。

 

Aさんは、災害現場での動き方や事務処理などをとても熱心に教えてくれたり、仕事終わりには喫茶店に連れて行ってくれたりと可愛がってくれた。

とても温厚な人で少しも偉そうな素振りはなく、心から尊敬できる人だったのだ。

 

そんなとき、 「どんなところでも必ず、一人は尊敬できる先輩がいる。だからその一人を見つけろ」 という消防訓練センターの教官の言葉を思い出した。

僕にとってのAさんがそうであるように、これから入ってくる後輩にとって僕もそういう人間になることを目標にして頑張ろうと心に決めた。

初めての後輩

消防署に配属されてから約1年が経ち、初めての後輩ができた。

消防署での仕事にも慣れ、始めのうちに苦しんだ現実とのギャップには、”自分なりの目標”を持つことでどうにかモチベーションを保っていた。

 

そんななかで迎えた2年目、 僕に与えられた仕事は「後輩に雑用を教えろ」というもの。

後輩たちに説明し、その作業をやってみせながら

「歴史はこうやって繰り返されるんだなー」

と考えていた。

 

数週間もすると、僕が手を出すことなく後輩たちだけでも十分に雑用をこなせるようになっていた。

そんな後輩たちの後ろ姿を見ながら、ある思いが頭をよぎった。

 

(こんな遠くまできて、一体何をやってるんだろう…)

それはこの一年間、日増しに強くなっていた想いだった。

「ちゃんと教えなきゃ」と少なからず張り詰めていたものが、安心したことで緩んだのかもしれない。

急に虚しさを感じたのだ。

 

その翌日の朝、仮病を使い休みを取った。

仕事に向かうのがバカらしくなったのだ。

こんな小さな抵抗でも、少しは気持ちが紛れると思った。

本来の休日の前日に休暇を取ったため連休になったため、久しぶりに実家に帰省することにした。

 

急だったため、帰省してからの予定は何もない。

たまたま連絡を取っていた友達と食事に行く約束をした。

 

その友達は、子供の頃から実家の近所に住んでいる同級生、いわば幼馴染み。

中学校を卒業してからは一度も顔を合わせる機会がなく、会うのは約6年ぶりだった。

 

仙台駅で待ち合わせ、近くの居酒屋に入った。

久しぶりだったので始めはなんとなく緊張したが、話をしているうちに気がつけば昔の感じに戻っていた。

どうやらその友達も今は地元を離れて一人暮らしをしていて、悩んだり迷ったりしながら、自分の力で頑張っているらしかった。

今、仙台にいるのは、たまたま同じタイミングで帰省してたからだった。

 

何時間も話をしながら、少しずつ気持ちが晴れやかになっていくのを感じた。

そして、帰る頃には不思議なほどに気持ちが前向きになっていた。

 

翌日、僕は新幹線に乗り、自分の借りている寮の部屋へと帰った。

そして、休み明けの朝、僕は何ごともなかったかのように消防署へと向かった。

 

******

 

それから2年が経ち、僕は仕事に対してもある程度の自信を持ち、充実感を感じながら毎日を過ごしていた。

そんなある日、24時間の勤務を終えて自宅で休んでいた僕は、上司からの電話で起こされた。

そして、初めての異動を告げられる。

 

→つづく

火災により瓦礫になった家屋

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