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【第1話】なぜ、僕は消防士になったのか

消火作業中の消防士
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トモ
トモ
こんにちは、トモ(⇛プロフィール)です。
Amazon物販で生計をたてながらブログを書いています^^
前職では15年間、消防士としてはたらいていました。
この記事では、僕が起業するまでの物語をまとめました^^

 

僕は高校を卒業してすぐに上京し、消防士になりました。

そこから15年間、たくさんの壁にぶつかりながらも、その度になんとか乗り越えてきました。

また、その間には結婚し、子どもが生まれ、僕には”守るもの”ができていました。

 

公務員として就職した以上、定年を迎えるまで働くことは当たり前のこと。

「だから、自分も消防士としてこのまま一生を終えるのだろう」

いつからか、ぼんやりとそんなことを思うようになっていました。

 

しかし、ある出来事をきっかけに、僕の消防人生は終わりを迎えました。

15年間積み上げたものを捨てて、地元の仙台に帰ることを選んだからです。

 

そして、地元にもどった僕は起業しました。

手持ちの武器はパソコン1台。

 

一番の心配は収入面でした。

 しかし幸いにも、約4ヶ月ほどで月商200万円以上を稼ぐことができるようになり、収入面での心配はほとんど無くなりました。

 

とはいえ、ここに至るまでにはたくさんの反対がありました。

 

それはそうです。

僕はこれまで起業とは全く縁のない、とても平凡な人生を歩んでいました。

はずかしながら、ビジネスの”ビ”の字も知りませんでした。

そんな男が「公務員をやめて起業する」といい出したのです。

逆の立場なら僕も止めたと思います^^;

 

それに僕自身、 起業というのは高い能力を持つ”選ばれた人間”がすることだと思っていました。

 

でも、ある出会いによって ”実はそうではなかった”と知ってしまったのです

 

  • それまで平凡な人生を送っていた男が、なぜ安定を手放してまで起業したのか?
  • なぜ、ビジネスと全く縁のなかった男が数ヶ月で生活費を稼げるようになったのか?
  • 不安はなかったのか?

 

そんな、僕が起業するまでのストーリーを、これから数回に渡ってお話します^^

第1回は『なぜ消防士になったのか』 です。

黒ねこ
黒ねこ
それでは、どうぞニャ!

なぜ僕は消防士になったのか

僕が消防士として働き始めたのは18歳のとき。

一部の例外を除き、消防士になると半年から一年ほどの教育を受け、卒業後に消防署へと配属される。

 

高校を卒業したばかりの僕は、消防訓練センターで半年間の教育を受けることになった。

そして、ここを 卒業できないことは退職を意味する。

つまり、条件付きの採用ということ。

 

あとになって知ったのだが、僕が入ることになった訓練センターは教育内容が厳しいことで全国的にも有名なところだった。

 

月曜日の朝、自宅から1時間ほどかけて訓練センターへと向かい、金曜日の夜まで泊まり込みで教育を受ける。

そして、仲間たちと共同生活を送りながら、 消防士として働くための知識や技術を言葉どおり叩き込まれるのだ。

 

僕はそこで半年間、集団生活や規律の厳しさに戸惑いながら、朝から晩まで汗や鼻水、泥にまみれながら訓練の日々をおくった。

もちろん、この期間中も給与は支給される。

 

これが、このあと15年間にもおよぶ、消防士としての最初の仕事だった。

 

***

 

「刺激が欲しい」

 

僕が消防士になろうと思った一番の理由はこれだった。

消防士になれば、火事や救急現場に出動することになる。

普通に生活していては感じられないような、 刺激的な毎日をおくることができる気がしたのだ。

 

では、なぜそんなに刺激が欲しかったのか?

それを説明するために、僕が子どもの頃の話をしようと思う。

幼少期

仙台の町並み仙台市内の街並み

僕は宮城県の仙台市で育った。

仙台は、森や川などの自然に恵まれた東北地方で唯一の政令指定都市だ。

杜の都という愛称で親しまれている。

 

少年期の僕は、ごくごく平凡な家庭で育てられた。

季節の変わり目を鳥の鳴き声や、木々の匂いで感じられるような自然豊かで小さな住宅地だ。

当然、ファミレスもなければ、ゲームセンターもない。

最寄りのコンビニまでは4km以上も離れている。

そんな街で、高校を卒業するまでの約18年間を過ごした。

 

***

 

小学生の頃の僕は明るく活発な子だった。

4歳からやっていた近所の学習塾のおかげもあり、勉強でたいして苦労することもなかった。

悩みといえば、”身長がなかなか伸びないこと”くらい。

 

僕の父は新しいものが好きだった。

昔からアマチュア無線が趣味で、家の裏庭には全長10メートル以上の鉄塔がドンと立っている。

そんな父がある日、ニヤニヤしながら箱を抱えて帰ってきた。

喜びを隠しきれていない様子が当時、小学3年生の僕にでさえよく分かった。

 

父がその箱を開けると、中には新品のノートパソコンが入っていた。

当時、最新型のWindows95搭載のモデルだ。

もちろん、父のものであって僕のものではない。

 

父の見ているときに遊ばせてもらう程度だ。

しかし、この日以来、僕にとってパソコンは身近なものになった。

記憶のない中学時代

これまでの僕の人生にとってのターニングポイントを3つ上げるとしたら、1つ目は間違いなく中学生時代だ。

 

僕には中学生時代の思い出がほとんどない。

 

記憶に靄(もや)がかかっているのだ。

ただ、確実に言えるのは、そのわずかにある記憶は 僕の人生で最も暗いものということ。

きっと、自分を守るために無意識のうち記憶にフタをしてしまったのだと思う。

 

***

 

僕が通っていた中学校では、新入生は必ず部活動に入らなくてはならなかったので、僕はサッカー部に入ることにした。

しかし、数日もしないうちに僕は違和感を感じ始めていた。

 

「放課後は部活に行かないといけない」

 

そんな、”自分ではない誰かに、何かを強制されている感覚”に対してのものだった。

 

しかし、同級生は当たり前のように部活動に向かっていく。

その後ろ姿を見ながら、 「変なのは自分なんじゃないか・・」と思うようになっていた。

 

別にスポーツが嫌いだったわけではない。

サッカーだって小学校からずっと続けてきたものだ。

 

「きっと、そのうち慣れるだろう・・」

 

しかし、違和感は払拭できなかった。

そして、2年生のときにサッカー部を辞めた。

 

 

このあたりの時期を境に、僕は”無力感”にさいなまれるようになった。

今思えば、思春期の心の変化の影響もあったのかもしれない。

 

「何をしてもうまくいく気がしない」

 

僕は、完全に自信を失っていた。

 

もう、できるだけ人と関わりたくなかった。

サボる勇気もないので登校はしたが、心の内を人に悟られないように表面を取りつくろうことに必死だった。

 

唯一の楽しみは、家に帰って一人でパソコンに向かうこと。

ゲームをしたり、ホームページを作って顔も知らない友達とアクセス数を競ったりしていた。

地方にある田舎町の小さな部屋から世界中と繋がることができる、インターネットの世界にのめりこんでいった。

 

しかし、心のどこかには「このままではダメだ」という想いがずっとくすぶり続けていた。

月日とともに膨れ上がった「部活動を投げだしたこと」への後悔。

それが元で、 最後まで部活動をやりきった同級生への劣等感はとても強くなっていった。

 

だから、高校では”今しかできないことをやる”と決めた。

そう、自分の意思で。

 

何をするかまでは決まっていなかったが、 この小さな部屋で過ごす退屈な日常にはウンザリしていたのだ。

だから、パソコンのモニター越しに見える 外の世界がとても「刺激的」に見えていた のだと思う。

 

このとき、僕は胸の内で密かにある決意をしていた。

 

それは 『高校を卒業したら、地元を離れる』 というものだった。

駆け抜けた高校時代

中学校を卒業した僕は、市内の高校に進学しハンドボール部に入部した。

ルールはおろか観たことさえなかったが、それでもハンドボール部にしたのは理由があった。

単純に部員数の少ないマイナースポーツの方が活躍できる可能性が高いと思ったのだ。

そして、その予想は的中し、入部して半年もするとそれなりに試合に出れるようになっていた。

 

授業では電気、機械、プログラミングについて「浅く広く」勉強した。

「手に職をつければ、安定した職につけるかもしれない」

そう考えて入学した工業高校だったが、その気持ちは徐々に薄くなっていった。

工業の科目に興味を持つことが出来なかったのだ。

気がつけば、テストで100点満点中8点を叩き出す始末。

2年生になる頃には、工業高校に通っているにも関わらず、どうしたら工業以外の道に進むことができるかで頭を悩ませていた。

 

僕の通っていた工業高校は進学する人よりも圧倒的に就職する人数の方が多かった。

そもそも、卒業後には社会に出る前提で授業が組まれている学校だったのだ。

学校生活を過ごしているうちに自然と”数年後には社会人になること”を意識するようになっていた。

しかし、その現実が近づくにつれて、不安と疑問がよぎるようになった。

 

”毎日毎日、朝早くに出勤して、夜遅くに家に帰る生活がこれから約40年間続く”

そう考えると、とても恐怖を感じた。

 

みんなはそれを受け入れているのだろうか?

僕が考えすぎなだけなのか?

 

そんなことを考えながら、中学生の頃に部活に馴染むことが出来なかったことを思い出していた。

みんなが歩いているレールを外れれば、また後悔するかもしれない・・。

そんな思いが何度も脳裏によぎった。

 

それでも、 このまま周りに流されてなんとなく就職するのだけは違うと思った。

もし就職するのだとしたら、 状況が目まぐるしく変化するような、刺激的な仕事はないのだろうか。

同じような毎日を繰り返すのだけは嫌だったのだ。

 

そんなことを考えていたある日、駅の構内に貼られているポスターが目についた。

警察官と消防士が並んで写っているそのポスターは、公務員の予備校のものだった。

 

「!!!」

 

さっきの答えをそのポスターの中に見つけたような気がした。

「警察とか消防、自衛隊みたいな公安系は面白そうかも・・」

 

家に着いて早々、親を説得し、翌週から公務員予備校に通うことにした。

だが、数カ月後には最後の試合を控えている。

部活が終わってから予備校に通う日々が始まった。

毎朝6時に家を出て、帰宅は23時頃。

いつも時間に追われていた気がするが、中学生の頃の後悔を思い出せばなんでもなかった。

 

そして春になった。

 

高校最後の大会は初戦で敗退した。

しかし、やりきったという充実感でいっぱいだった。

そして、その約一ヶ月後に行われた 公務員の採用試験では無事に合格を手にすることができた。

 

合格したのは、警察官と消防士。

どちらも地元から数百キロ離れた都市だ。

少しだけ悩み、消防士に決めた。

これと言った理由はなかったが、 なんとなく消防士の方が自分には合ってそうな気がしたから だった。

 

高校を卒業した僕は、3月下旬に親元を離れて一人暮らしを始めた。

この日のために買ってもらった、おろしたてのスーツと革靴でこれから自分が働く街を歩く。

 

そして4月1日、

社会人1年生の僕は消防士になるための学校、消防訓練センターに入校した。

 

→つづく

作業後の消防士

【第2話】理想と現実のギャップ

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